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めちゃイケ国民投票は親殺しの物語

親殺し。
古今東西の物語の定番の一つに「親殺し」というモチーフがある。
もちろん文字通り子が親を殺す物語もあるが、多くは比喩として、精神的な親殺しのことを指し、自分を産み育てた根源的な存在であり、それと同時に生まれてすぐ最初に目の前に立ちはだかる壁でもある親(主に父親)を乗り越え、精神的に成長するというものである。


めちゃ×2イケてるッ!』
通称「めちゃイケ」。1996年10月19日にスタートして以来、「守ったら負け」の精神で次々に新たな企画を産み出し、およそ20年の長きに亘ってフジテレビ土曜8時の看板を担い続けているバラエティ番組。
今の20代〜30代にとっては思春期を共に過ごした偉大なバラエティ番組としてもはや説明は不要だろう。そして悲しいことに、現在の凋落ぶりも。
それは主に視聴率で語られることが多く、ネットでのフジテレビの嫌われぶりも相俟って、岡村の「嫌なら見るな」発言とともに『めちゃイケ』の低視聴率がたびたび伝えられるようになった。確かに企画もかつてのような勢いを感じることは年を追うごとに少なくなっていった。毎週腹を抱えて爆笑するような時期などとうに過ぎたのだろう。それでも年に何度かは目を見張るような企画を出し、あの頃の興奮をたまに思い出させてくれた。


そして、先日放送された4時間超のスペシャルのメイン企画は「めちゃイケ国民投票」と題された、三中元克の再オーディションだった。
三中元克。番組のメインである岡村が所謂「パッカーン」となり長期休養を余儀なくされた5年半前、その穴を埋めるべく行われた新メンバーオーディションで大抜擢された素人である。
当時、私には合格させた意図がまったく不明だったが、恐らくは「めちゃイケ愛」の象徴として、あるいは「素人を起用する面白さ」を主眼としていただけで、中長期的な戦略はなかったのではないかと訝しんでいる。一応、新メンバー加入直後はメインのドッキリ企画なども放送されたが、その後はお台場合衆国足柄サービスエリアに幽閉され、番組で「たまに見るだけ」の存在になっていた。
そんな状態が数年間続き、半ば不良債権と化した三中を再活用するために番組が取った手段は「みちのくプロレス入団」だった。しかしそれは結果として頓挫する。三中はこの企画を投げ出したのだ。
今回のスペシャルのオープニングで「素人だから面白いんだ」と繰り返し強調されていたが、もし番組がそのような認識を持っていたのなら、何故その素人に岡村オファーシリーズのような過酷な企画を与えたのだろうか。その過酷さに耐え切れず逃走した三中がその逃走を正当化するためか本意か不明だが「芸人になる」と言ったら、その責任を取れとばかりに再オーディションの企画を立ち上げる。三中自身に問題があることも確かだ。そして、今までもドキュメンタリーのていを取りつつコントに落とし込んできた『めちゃイケ』のことだからどこまでが本人の意図でどこからが台本かも分からない。しかしこれまでの一連の流れはどうにも迷走と言うより他ない。
数年間ほぼ放置し、感情移入できるほどのキャラクターを番組内で作り上げないまま、突然のスペシャルでわずかな期間の成長物語を見させられ、(作家が作ったような)ネタを披露させ、そこで去就を視聴者に委ねて、どのような結果になると予想していたのだろうか。放送終了後のインターネット放送『めちゃタメ』内での岡村の発言を信用するなら、合格すると思っていたようだが、それはいくらなんでも視聴者を侮りすぎではないだろうか。
結果としては周知のとおり不合格になったわけだが、今回、その不合格のボタンを押したのは誰かというのが問題だ。普段インターネットでフジテレビを叩いているアンチたちだろうか。いや、これはまったくの私見になるが、かつて『めちゃイケ』が好きだった人、且つ今も見守っている人が不合格のボタンを押したのではないだろうか。少なくとも私がそうだ。
これは単純に三中の進退を決める問題ではない。事前VTRから三中を合格させる意図は明らかで、番組が作り上げたこのストーリーに乗るかどうかを問われ、今まで『めちゃイケ』を肯定してきた人が「NO」を突き付けたのだと思う。
これは、『めちゃイケ』で育ってきた子による親殺しだ。
子は親に教育され十分すぎるほど成長した。視聴者だけではなく制作側にも多くのフォロワーを生み出した。旧態依然とした演出・ストーリーが通用しなくなるには十分すぎる期間だったのかもしれない。
この我々の意思表明が番組にどう影響するか分からない。それでも番組は存続し、己が信じる道を進み続けるかもしれない。ただ、今回のスペシャルは多くの人の心に墓標が立った放送だったのではないだろうか。