最後はいつも残酷

「バラエティの最後は寂しく、残酷なもの」とは『笑っていいとも!グランドフィナーレ』で中居正広タモリに贈った言葉であるが、よほど気に入ったのか『めちゃイケ』終了に際しても同様の言葉をメンバーに贈っており、堂々たるその語り口はさながら『A-studio』で一人語りをする鶴瓶のようであった。

「バラエティの最後は残酷」とはつまり「打ち切り」を指しているわけで、予め終わりが決められたドラマやコンサートを引き合いに出し、終わりに向かって頑張るのではなく、終わらないことを目指して頑張るのがバラエティであると。バラエティを主戦場としてきたアイドルだからこそ言える重みのある言葉であるが、終わりはいつだって打ち切りで、むしろ綺麗な形で終わりを迎えられることの方が稀有なのではないだろうか。

彼の所属していたSMAPも終わることを許されず最終的に空中分解し、冠番組の最終回は追悼番組の様相であった。週刊少年ジャンプも「終わらない」ことが至上命題で、人気があれば永遠に続くし、人気がなければすぐに終わる。年表でまとめて終わる漫画もあれば、画風が劇的に変わって終わる漫画もあるし、皆が寝て終わる漫画もある。かと思えば、3年くらい前に完結編に入った気がする某漫画はいまだに続いている。

昔『トップランナー』で岩井俊二が好きな漫画の1位に『ジョジョの奇妙な冒険』を挙げていて、その理由の一つに「ジョジョという名前だけ残して主人公を変えて連載を続けるという画期的な方法を編み出したから」というようなことを言っていた。

この主人公を変えるという方法、AKB48がやろうとしているのはこれなのかな、と先日の『AKB48世界選抜総選挙』を見て思った。この界隈は魔窟なのでしたり顔で語ると石とか発煙筒が飛んできそうだけど、あくまで蚊帳の外の野次馬として見て、毎年何かしら対立の構図が作られて、それを繰り返すことで主人公の入れ替えを図っているのかもしれないなと思う。それが秋元康の書いた台本なのか、メンバーたちの間で自然発生的に生まれたのか分からないが、いずれにせよ今年は1位になった松井珠理奈が(2位の須田亜香里を虫けらのごとく無視して)3位の宮脇咲良とのライバル関係を今後の軸にしようとしてるのだなというのは、事後のインタビューなどから明らかに見てとれる。しかしその喧嘩の吹っ掛け方が非常に雑というか、荒っぽいというか、率直に書くと、あの口調はもう精神を病んだ人ですよ。

アイドルにストーリーを見出だすというのはアイドルの楽しみ方の一つではあるが、秋元康の作り出すそれは下世話で、扇情的で、往々にして残酷だ。いや、ストーリーなどという作り込まれたものではなく、リングだけ雑に作り、そこに少女たちを放り込んであとは「もがき苦しめ」と言っているようなものだ。

松井珠理奈は加入直後から秋元康の寵愛を受け、中学生ながらシングルのセンターを務めるも、総選挙では首位争いから外れ、辛酸を舐め続けてやっと掴み取った1位。しかし振り返って見ると、追い抜きたいと思っていたライバルたちはとうの昔にこの争いから離脱し、育ての親たる秋元康の興味は妹の坂道に移り芸人のグループまで作ろうとしている。

松井珠理奈が精神を病むのも宜なるかな

この安い、あまりにも安いストーリーに決着をつけるとしたら、すべての元凶である秋元康松井珠理奈が刺し違えるしかないのではないか。

結局何が言いたかったのかというと、松井珠理奈の喋り方まるでサイコホラーじゃん。松居一代かよ。ということで、それを引き延ばしたのがこちらの文章になります。こちらからは以上です。