夢の『ウレロ☆未確認少女』

最近、『ウレロ☆未確認少女』をまた見ている。
DVD-BOXの特典映像の質・量が「バカの所業」(by 佐久間P)なので、ディレクターズカットの本編までは見られていなかったのだけど、改めて見てみるとやはり素晴らしい。
Twitterで散々激賞はしてきたけど、きちんと感想を書いていなかったなと思い、今更ながらつらつらと書き記しておく。

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「芸人」劇団ひとり劇場

視聴者「このままだと劇団ひとりさん芸人として終わってしまうんじゃないかと思うんですよ」「芸能界でたけしイズムというか、ビートたけしさんの遺伝子を1番受け継いでるのは劇団ひとりさんだと思います」
劇団ひとり「いやいやいや。たけしさんは僕にとって神様みたいな人で」
視聴者「だからこそ言わせていただきたいことがあって。劇団ひとりさん売れっ子だからテレビでよく見るんですけど、今ひとつ印象に残る番組が少ない。お笑い以外の仕事が多すぎるんじゃないかと思うんですよね」「お笑い以外の仕事を全部断っていただきたい」
ひとり「僕の中のラインとしては、芸人として生きるのは深夜であったりライブだったりであって、ゴールデンは職業としての芸人なのかなっていうふうに…」
視聴者「時代が違うと言えばそれまでですけど、たけしさんはゴールデンでゴリゴリのお笑い番組を3本も4本も持っていた訳ですから…じゃあ、たけしさんになるつもりはないんですね?」
ひとり「…たけしさんになりたい」

2012年4月2日に日本テレビで放送された『耳が痛いテレビ』での一幕。
視聴者の苦情を芸能人本人が受けるこの番組で劇団ひとりは、本音か冗談かは不明だが、現状に対する心情を吐露した。


その劇団ひとりが先日の『ロンドンハーツ』に出演していた。

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この世は等しくくだらない

いつだったか、よゐこ有野晋哉が「さんまさん、ゲームやらないんですか」と問いかけたら、明石家さんまはこう答えた。
「あんなもん時間の無駄やないか」


その時、私は言ってやりたかった。
「あなたが夢中になって見ているサッカーなんて時間の無駄じゃないか。
 あなたがやっているお笑いなんて時間の無駄じゃないか」

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『伝説の一日』での寂しさ

先日、吉本興業創業100周年記念公演『伝説の一日』のライブビューイングに行ってきた。
見たのは第四回で、お目当てはダウンタウンとごっつメンバーによる『ポケットミュージカルス』。
『エキセントリック少年ボウイ』から始まり、『オジャパメン』、『明日があるさ』、さらには『WOW WAR TONIGHT』まで。松本人志も生で「BUSAIKU HAMADA」を歌い、ダウンタウンで育ってきた世代としては感動するしかない豪華な内容だった。その一方で、一抹の寂しさを感じたのも事実。
それは、常に「新しさ」を切り拓いてきたダウンタウンが「懐かしさ」に陥ってしまったと感じたから。あぁ、こういうことをするようになってしまったんだと。
そこで『ブラマヨとゆかいな仲間たち』でバカリズムが言っていたことを思い出した。

バカリズム「ちょっと真面目な話になると、大御所の方でもうネタをやられなくなっている方が『10年ぶりくらいにネタを披露!』みたいなこととかたまにあるじゃないですか。そういうときに勿論面白くてウケてはいるんですけど、ちょっと懐かしさがあるときってありません?」
小杉「現役感がないというか」
バカリズム「現役感がないというか、要は当時の“方程式”なんです。勿論そこでテクニックもあるしウケるんですけど、懐かしい感じになる場合、面白いんですよ大前提として、でも『あの時のあれだ』というように自分が思われるようになったら嫌だな、と思うから常に新しい方程式を広げることをしていなきゃなというのがあるんです」

『MHK』でも先鋭的な姿勢を見せ、映画というジャンルでも(成功かどうかは別にして)独自の笑いを切り拓いて、未だ現役であることを見せてくれた松本人志だからこそ少し残念に思ってしまった。
松本人志自身もその苦悩を抱えている。『松本人志大文化祭』の宮本茂との対談で以下のように吐露している。

松本「僕が周りから言われることなんですけど、どうしても例えば自分がやってたコントを『もう一回やってくれ』、『別にキャラはそのままでセリフさえ変えてくれたらええやんけ』って好きな人は言ってくれるんです。でも、僕はそれはやりたくなくて、やっぱプラス何かがないとやる意味がないと僕は思うんです。そんなことを言っているくせに、殊ゲームのことに関しては、宮本さんに『もう同じでいいからステージ違いでもやってくれ』と僕が思っている矛盾さ。あぁやっぱファンって勝手なものだなぁと」「いやぁ、でも答え出ないですもんねぇ」

「ファンの期待に応えたい」、その一方で「新しいものを創りたい」という二律背反の中で懊悩している。そんな中、『伝説の一日』で見せたパフォーマンスは完全なるファンサービスだったのだろう。それでも、贅沢が過ぎるとは思うが、あの場でこそ新ネタをおろして欲しかったなぁ、と思わずにはいられなかった。未だ現役である松本人志ダウンタウンに期待してしまう。浜田雅功の「ダウンタウンの最後はね、花月で漫才しようて二人で言うてるんですよ」という言葉を信じて。

リンカーンの主体不在

最近、『リンカーン』が面白くなっている。
「衣装争奪ツアー」や「着ぐるみ上手No.1決定戦」、「お笑いG6」などの良企画がレギュラー回で放送され、しばしば名場面が生まれている。
過去にも「世界ウルリン滞在記」などの名作があったが、ここ一年くらいで打率が上がっている。


しかし、いつも「面白いん“だけどね”」と思ってしまう。
何故だか面白いのに全肯定できない。爆笑しつつも面白さに違和感が残る。
この“だけどね”の正体を考えていて思ったのが、それは主体の不在ではないだろうかと。
そう、面白さを統率する主体がこの番組には欠落している。
個別の企画は面白くても、番組全体が志向する面白さの方向性が見えない。つまりは統一性がない。


「芸人による芸人のための芸人の番組」というコンセプトこそあるものの、それはお題目に過ぎない。
名目上の司会はダウンタウンであるが、企画によって司会にもプレイヤーにもなるし、この二人のイズムを体現した企画内容というわけでもない。
「『リンカーン』っぽさって何?」と聞かれたら多分みんな回答に困ると思う。


アメトーーク』や『ロンドンハーツ』なら加地倫三が、
『ゴッドタン』なら佐久間宣行が、
クイズ☆タレント名鑑』なら藤井健太郎が、その笑いの主体として存在している。
殊更に作家主義を謳う気はないし、賛否はあろうが、番組の魅力の源泉であることは確かだ。


リンカーン』には番組全体を貫くイズムがないから、先に「面白い」と言った個別の企画についても腑に落ちないときがある。
企画を見て面白いと感じても、100%の面白さを受けている気がしないのだ。
企画を考える人、現場で実行する人、編集して放送する人、この三者がバラバラで、面白さの趣旨が伝言ゲームのように変質しているように感じる。
どこかもっと面白くなるんじゃないか、本来はもっと面白かったはずなんじゃないかという印象を受けてしまう。


いや文句を言ってるけど好きなんだ。
無駄遣いとも思える予算のかけ方とか、初老のレギュラー陣が体を張る姿とか。
そして最近特に面白いだけに勿体ないと感じてしまうので。