ファン世界の中と外

過日、『GIRLS' FACTORY』という音楽番組の観覧に当選し、参加してきた。


会場はライブハウスのようなつくりで、オールスタンディングの観客約1,000人で埋め尽くされた。
当日の出演者は、スカートの中、ユナイテッドモンモンサン、家入レオ乃木坂46南波志帆ももいろクローバーZ、水樹奈々(登場順)。
当然のことながら私の目的はももクロ一択で、同様に会場は一目でそれと分かるモノノフ(※ももクロのファン)で溢れていた。


収録はMCである渡辺麻友の歌から始まり、ライブのような盛り上がりがありつつも比較的行儀よく進んでいった。
しかし、ももクロの登場直前から会場の空気は一変した。人の波が大きくうねりステージ前に大量のモノノフ達が雪崩れ込んでいった。やがてサイリウムが輝き出し、メンバーの名前を呼ぶ声が轟いた。
そこからはさながらももクロ単独ライブの様相を呈し、7曲に及び彼女たちの歌声とモノノフ達のコールで会場が支配された。私もサイリウムこそ持って行かなかったものの他のモノノフと同様に声を荒げ、その狂騒の渦中に参加していた。そして相も変わらぬ楽しさを全身に感じた。


ももクロが走り去っていった後、ステージのセッティングを挟んで水樹奈々が登場した。するとモノノフと同数かそれ以上の水樹奈々ファンが大移動し、ステージは大量のサイリウムに照らされ、彼女への声援が響きわたった。会場で聞いた「(水樹)奈々ファンは跳ねるからねー」という言葉どおり会場は揺れ熱狂に包まれた。


自分がついさっき体感したはずの狂騒が目の前で繰り広げられていた。


それを見たときに、非常に申し訳ないのだが、少し異常に感じた。いや異常というよりは「よくわからない」。
そこですこし冷静になり考えてみた。自分もその「よくわからない」世界に身を置いているということを。
ファンで埋め尽くされた世界は居心地がよい。その中にいれば約束された喜びがある。
一方で蚊帳の外から見ればそこはまったくの異世界だ。その熱狂の正体など知る由もない。
逆説的だが他者から見ればわからないからこその愉悦というのもあるのかもしれない。


しかし、その中と外の境がなくなるほどの求心力をもったとき、世間的に「売れた」ということになるのだろう。
AKB48がファン世界と世間との壁を壊したように。
果たしてそのきっかけがどこにあるのか分からないが。


ももクロは今はまだファン世界が拡大しているだけの印象だが、いつかその閉塞されたユートピアが瓦解するときが来るのだろう。
そのときにはまた一段面白いものが見られるかもしれない。はたまた世間に取り込まれてしまうかもしれない。
楽しみであり不安であるが、その行く末を見届けよう。


<余談>
もっと大変なのは、モノノフと水樹奈々ファンが埋め尽くすアウェイな状況で歌っていたその他の出演者なんだよな。
その中で、スカートの中というガールズバンドが、女子ながら童貞臭のする、いい具合にこじらせた方々だった。
登場するや「アイドルを見に来たのにすみません」だの、会場からの声援(というか野次?)には「黙ってうちらの歌を聴いてください」だの、終いには「アイドル好きの皆さん、また機会があったらライブに来てください。まぁアイドル好きの方とは会いたくないですけど」と言い捨て、まぁ最高にひどくて面白かった。
で、MCとのトーク(観覧者は見られないので、MCからの伝聞)では、AKB48のダンスが完璧に踊れる、というオチまでつけていた。

批評は必要か?

映画批評においてよく言われる話。
映画に限らず、音楽でもお笑いでも、批評というものは必要なのか。
圧倒的知識を基に作品の背景や意味を詳らかにする解説には価値はあったとしても、単なる批評に果たして価値はあるのかと。
ともすればお前の好き嫌いだろう、主観による解釈じゃないかと一蹴されかねない。
それでも私はそこに価値があると考える。


感覚の共有
言葉にすること。そこにまず意味がある。
あるものを見聞きしたときに「面白い」と感じても、それは人がそれぞれに抱く曖昧模糊とした感覚で、その感覚は他人には分からない。
しかし、言葉にすることで共有は可能となる。正確にいえば共有の精度が上がる。
感覚という不明瞭なものを言葉によって固定化し他人に通じるものにするという役割を批評は果たしている。


感覚の補助線
ただ感覚を共有したとしても、他人の感覚が自分の感覚と完璧に一致するはずがない。
たとえば自分の感覚に似通った批評に出会ったときにそれで完結させてしまうのは、正しいあり方だとは思わない。
あくまでも批評というのは「感覚の補助線」だ。
対象について自分がどう感じるのか、それは何を根拠にしているのか。他人の批評は自分のそうした感覚を言語化する起点となる。
自分の感覚と異なる批評に出会ったときも、その違和感がどこにあるのか、それを踏まえて自分はどう感じるのか。そういったことを考える指標になりうる。


そうやって批評という作業で自分の感覚を鍛えていけば、「面白い」へのアンテナが研ぎ澄まされていくのではないだろうか。

以上、最近ぼやぼやと考えたこと。

駆け抜けるももクリの夜

2011年12月25日、寒風吹きすさぶさいたま新都心で行われたもう一つのクリスマス。
『ももいろクリスマス2011 さいたまスーパーアリーナ大会』
私はその拍手する、声援が聞こえる熱狂の渦の中に立っていた。


2011年春、私はある5人組の少女に心を奪われた。
彼女たちの名前は、ももいろクローバーZ
きっかけは何だったのだろう。死んだ目さんの「にわかファンの自分が、ももクロの魅力を全力で紹介してみる。 - 死んだ目でダブルピース」だったかもしれないし、『ゴッドタン』の「照れカワ芸人」だったかもしれない。
ただぼんやりとTwitterに流れてくる評判を見ているうちに、いつの間にかYouTubeで動画を漁る日々が始まっていた。

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そして、物語は輪廻する〜『ウレロ☆未確認少女』第1話と第10話のリンクと成長

今、地球上で最も面白い番組『ウレロ☆未確認少女』。
 http://www.tv-tokyo.co.jp/ufi/
決してお世辞ではない。毎週テレビの前に釘付けになるなんて、いつ以来の感覚だろうか。
弱小芸能事務所・@川島プロダクションを舞台に、アイドル戦国時代で天下を取るべく結成された未確認少女隊UFI(ユーフィー)を巡る舞台裏を描いたシチュエーション・コメディ
劇団ひとりバカリズム東京03と、東京芸人好き垂涎のキャストに加え、元ももいろクローバー早見あかりが意外なまでの好演ぶりで、芸人と化学反応を起こしている。それぞれの個性を生かしたキャラ設定に、巧みな脚本、更にももいろクローバーZを絡めてきたりして、毎週金曜日の深夜に仕事の煩わしさを忘れひたすら爆笑している。
毎回シチュエーション・コメディとして秀逸なのは言うまでもないが、連続ものとしての魅力が回を重ねるごとに増している。
そして、先日の第10話『モドレ☆未確認少女』は、第1話とリンクさせながらも、10話重ねてきた@川島プロダクションの成長と結束を感じさせる見事な内容だった。
あまりに感動したので、稚拙ながらそのリンクを解説していきたいと思う。
ただし凄まじいまでのネタバレを含むので、未見の方は是非第1話からその素晴らしさを自分の目で確かめたうえで読んでいただきたい。

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サバイバル登山家・服部文祥が地獄のミサワすぎる

昨年10月、『情熱大陸』に彗星の如く現れたサバイバル登山家・服部文祥

服部 文祥(はっとり ぶんしょう、旧姓・村田、1969年 - )は、日本の登山家。神奈川県横浜市出身。1994年、東京都立大学フランス文学科卒業。山岳雑誌『岳人』の記事連載を行った。
「山に対してフェアでありたい」という考えから、「サバイバル登山」と自ら名付けた登山を実践する。「サバイバル登山」とは、食料を現地調達し、装備を極力廃したスタイルの登山を指している。
Wikipedia引用)

“サバイバル登山”という特異すぎる登山スタイルと、強烈なキャラクター、そしてコントのような展開。すべてが『情熱大陸』の歴史を塗り替えるエポックメイキング的快作との呼び声高く、笑えるドキュメンタリーとして瞬く間にテレビ界を席捲した。
実を言うと私はネットでその情報を伝え聞くのみで、実際の衝撃映像は未見だった。しかしついに先日、『情熱大陸』の激震から一年を経て、フジの深夜番組『ナダールの穴』にてサバイバル登山家と初の邂逅を果たした。

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