秀ちゃんとは何者だろう

「秀ちゃん」。

秀ちゃんとは何者だろう。

昨日、『水曜日のダウンタウン』を見ながらそんなことを考えた。

大喜利苦手芸人、酔った状態の方が面白い説」で出されたお題「あだ名が『オチなしクソ野郎』、その芸人とは?」に対してT氏が「秀ちゃん」と答えた。

VTRを見ながら「(酔って)面白くなってるね」と頬を緩ませていた松本人志もこの回答には一瞬表情を強張らせ、大喜利の司会を務めていた麒麟・川島も「大丈夫ですか?」と回答者を心配し、不穏な空気が流れたように感じたが、すかさずT氏は「いろんな秀ちゃんがいるからね」とコメントし、「酒を飲むと気が大きくなる」という検証結果でVTRは終了した。

焼きごて記者じゃあるまいし、殊更この件を粒立てる気はないし、そもそも何故に皆が色めき立っているのかが分からない。T氏の言う「秀ちゃん」とは「バーモント秀樹」のことでまず間違いがなく、彼がオチなしクソ野郎であることは事実であるし、酩酊状態でありながら全国ネットでショーパブ時代からの盟友の名前を出すT氏の男気には感動すら覚えた。

とはいえ「いろんな秀ちゃんがいるからね」である。

この件とは全くの無関係であるが、私はふと「いろんな秀ちゃん」のうちの一人、中山秀征のことを考えていた。そう、オチなしクソ野郎の方の秀ちゃんではなく、ババロア頭の方の秀ちゃんだ。

私が物心つく頃にはテレビに出ていた秀ちゃん。『TVおじゃマンボウ』で面白くもないのにはしゃぐ秀ちゃん。『夜もヒッパレ』で上手くもない歌を自信満々に歌う秀ちゃん。『静かなるドン』でイケメンでもないし演技も上手くないのに主演を張る秀ちゃん。おはようからおやすみまで生活を見つめる秀ちゃん。ナンシー関に酷評され続けてもテレビに出る秀ちゃん。需要もないのに供給だけが増えていく秀ちゃん。世界の均衡を崩す秀ちゃん。

そもそもなぜこの男が「秀ちゃん」と呼ばれているかも知らない。

そうだ。私はこの男の出自を知らない。いや、どうやら元お笑い芸人らしいことは耳に挟んだことがあるが、その栄光を聞いたことはない。今や大工のヒロミですらかつてお笑い第三世代を代表する一人であったことや、今や「ファン0人説」とまで言われる勝俣ひろかず、もとい勝俣州和ですらアイドルとして人気を博していたことを知っているのに、中山秀征に関しては情報がほぼゼロである。無から生まれた虚人。もしやメディアが作り出した架空の存在なのではないかとすら思っていた。

そこにいる必然性がないのにいつまでたっても消えない彼をテレビにおける飛蚊症のように感じながら数年過ごし、大学進学と同時に上京した時に彼が関東ローカル番組『ラジかる』でやりたい放題していることを知る。無駄に積み重ねた芸歴だけを盾に、後輩芸人を無下に扱い、自らは愚にもつかないボケを繰り返す。あの頃彼は幾度となく渡哲也のモノマネ(とも呼べない代物)で「マグロ」と何の脈絡もなく恐らく一番つまらないタイミングで発していた。思い出すだけでも背筋が凍る。

虚の出自の上に虚のキャリアを積み重ね、とうとう虚山の大将となった秀ちゃん。

私はいまだにその正体を掴めずにいる。かと言って掴みたいとも思わない。もしかしたら私が虚だと思っていただけで、本当は彼にとてつもない魅力があり、どこかに彼を追い求め恋い焦がれる一大勢力があるのかもしれない。でもそんなことはどうでもいい。あの大喜利と同じようにこの文章にオチはない。とりとめのない思考の残滓だ。今日もまたぼんやりと頭の片隅で思う。

秀ちゃんとは何者だろう。