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『幕が上がる』はうどん脳の夢を見るか

※ネタバレありの感想です。

『幕が上がる』。今や飛ぶ鳥を落とす勢いのももクロが主演。原作は演劇界の重鎮・平田オリザの同名小説。脚本は『桐島、部活やめるってよ』の喜安浩平。しかも各界の著名人が絶賛、伊集院光までもが褒めたとあっては否が応にも期待が高まる。監督に関しては、高校時代友達に誘われるがまま『踊る大捜査線The Movie 2』を観に行って「殺人現場に置かれていた洋ナシは“用無し”というメッセージ。つまり犯人はリストラされたサラリーマン!」という驚愕の謎解きに唖然としてその後うわ言のように「面白かったねー」と繰り返すしかなかった記憶と、「うどんが食べたくなる映画でいいなら俺でも撮れる」と某氏にdisられていた記憶しかないけど、不安要素はそれくらいで、基本的には肯定的なスタンスで鑑賞に臨んだ。


しかし、見終わってまず頭に浮かんだ感想は「惜しい」「もったいない」だった。
期待した要素は期待どおりに、いや期待以上に素晴らしかったが、唯一の不安要素が大きく足を引っ張り、「青春映画の傑作になれるチャンスをみすみす逃したアイドル映画」に仕上がっていた。


この映画の欠点は「三宅アナがももクロのグッズを持って画面に現れる」に集約される。
「俺の活躍は俺のもの。お前の活躍は俺のもの」というジャイアニズム精神に溢れる番組作りでつとに有名な『めざましテレビ』のメインキャスター・三宅正治アナウンサーである。ももクロに関してはブレイク前夜は歯牙にもかけず『スッキリ』の後塵を拝したが、ブレイクの兆しを見せ始めるやいなや「流行りものに乗っかって食い散らかす」品川ヒロシイズムを発揮し、密着取材を始め、番組に呼び、果ては盛り上がるライブのステージに上がり空気を瞬間冷却させるという蛮行を犯した番組だけあって、今や立派なモノノフ(※ももクロのファン)となった番組の長は邪魔になることなど考えず嬉々として映画に出たのだろう。
まぁそこには「大人の事情」が介在するかもしれないし、出演することは百歩譲って認めるにしても、この映画のダメなところは「ももクロのグッズを持たせる」ところである。
三宅アナは教師のエキストラとして職員室のシーンに計3回も出演しているのだが、1回目は粛々とエキストラをこなしていたので(多少のうざったさはあったが)看過しようと思ったところ、2回目にももクロのタオルを持って現れ私は思わず白目をむいた。しかも、席に座れば机の上の書類に隠れてタオルは見えなくなるのに、これ見よがしに持ち上げてタオルをたたみ始める。そして3回目にはももクロのTシャツを持ってくる。
これだ。このしつこさだ。所謂「隠し味が隠れてない」問題。小ネタは見る側が見つけてこそ小ネタなのに、ご丁寧にも太字に下線を引いて小ネタを指し示してくる。監督には「ユーモアの解説はカエルの解剖と似ている。興味を持つ者はいないし、そのためにカエルは死ぬ」という有名なアメリカンジョークを胸に刻んでほしい。
しかもももクロ主演の映画にももクロのグッズを出すって、小ネタとしては次元が低すぎるというか、フィクションの設定をぶち壊す愚行だ。一つのシーンに細かく言い過ぎだろうと思われるかもしれないが、ここが最も酷く象徴的なだけで、そこかしこに小ネタを挟み込んでくるのだ。ももクロが真剣に役を演じ、次第に役と重なり合い、観客が物語に没入しかけた時に画面に小ネタが登場し「はい、ももクロー。今やってるのももクロの映画ー」と茶化してくる。


何故にこんなに文句を言うのかといえば、これが真っ当にいい青春映画で、劇中のセリフにあるようにももクロが更に飛躍するための「行こうよ、全国」な映画であるから、こんな小ネタで邪魔されるのがもったいなくて仕方ないのだ。
そう、「行こうよ、全国」なのである。この映画の志は。
自分の意志もないまま弱小演劇部の部長を任されたさおり(百田夏菜子)。図書館でなんとなく手にした『ロミオとジュリエット』を新入生歓迎イベントで上演するも見向きもされない。手ごたえのない日々の中で部を辞めようと思っていた矢先に新任の美術教師・吉岡(黒木華)と出会う。実はその正体が「元・学生演劇の女王」だった吉岡先生の提案で、他校が用いた『肖像画』という自分と自分の家族を題材にして演じる一人芝居のような手法の舞台を、友達や家族など身内を客として呼んで上演することになる。『肖像画』はさおりの母親(清水ミチコ)も瞳を潤ませるほど成功し、吉岡先生に言われる。「全国に行く気はある?」と。更に「全国に行く気があるなら脚本を書く必要がある」と言われると「『肖像画』じゃダメなんですか?」と返すが「あれは人真似」と一蹴される。自分が演劇を楽しみたいだけ、身内を満足させるだけなら今のままでいいが、全国を目指すなら大学進学などの将来を犠牲にする可能性がある、それでもいいのか、と吉岡先生は問いかける。そしてさおりたちは悩み、葛藤し、決意する。「行こうよ、全国」と。
その一方で映画は何をしているかというと、ももクロ関係者をカメオ出演させ続け、ももクロに関する小ネタを繰り返す。物語が全国を目指しているのに映画自体は身内(=モノノフ)を喜ばすことに拘泥している。この齟齬。矛盾。不協和。
この映画もももクロを国民的アイドルにするための、まさに「行こうよ、全国」な映画であるはずじゃないのか。
そんな忸怩たる思いを抱えながらラストシーンにまでたどり着いた時、ライブ演出の佐々木敦規がカメオ出演しているのを発見し(と言っても相変わらずゴリゴリにアピールしてくるが)、悪夢のような符合が完成した。


「曲(=脚本)もいい。歌唱やダンス(=演技)もいい。それを茶番(=小ネタ)が台無しにする」


その直後に映った同じくカメオ出演松崎しげるのアップ、ダメ押しのように暗闇で光る白い歯。そして流れる『走れ!』。
そうか、この映画は迷走を続けていた頃の佐々木演出ライブの再現であったか。それならばいつか本広もいい映画を撮るかもな。――そんな悪い冗談を頭に浮かべながら映画館を後にした。