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異形の映画−『キス我慢選手権 THE MOVIE』

『キス我慢選手権 THE MOVIE』を観てきた。



テレビ東京の深夜バラエティ番組『ゴッドタン』の企画「キス我慢選手権」の映画化だ。
テレビ番組の映画化と言ったら否定的な目で見る人が多い。その場合テレビ番組というのはドラマのことで、ドラマの性質は映画とほぼ同じであるから、それを映画化したらその言葉どおり批評のフィールドが“テレビドラマ”ではなく“映画”となってしまう。またテレビドラマも映画化となると映画に擦り寄っていく、つまり「映画らしくしようとする」という側面もある。こうなると一大娯楽として確立されている“映画”に対して大見得切って向こうを張ることになる訳だから、当然より多くの批判を浴びることになる。
それで『キス我慢選手権』はどうかというと、映画のスケール感を拝借しつつ“映画”というジャンルそのものには踏み込まず、「映画館でバラエティ番組を観る」という暴挙かつ快挙を果たした。


テレビ版のルールそのままに、主演の劇団ひとりは「美女からの誘惑に勝ちキスを我慢する」だけ。誘惑のための筋書きに過ぎないはずが、映画らしく無駄に壮大なストーリーラインが用意され、そこに劇団ひとりがアドリブで応戦していく。壮大とは言ってもB級アニメやB級映画の要素のオンパレードで、清々しいまでに馬鹿馬鹿しくてベタ。
テレビ版は撮影場所がセットでコント感が強かったが、映画版では一大ロケを敢行し無駄にスケール感が増し、カメラワークも一発撮りとは思えないほど決まった画があって無駄にカッコ良かったりする。
さっきから「無駄だ」「無駄だ」と連呼しているが、この壮大な“無駄”がすべて笑いに帰結しており、映画でやる意味が出ている。


また、予告編を観てもらったら分かると思うが、モニタリングルームがある。おぎやはぎバナナマン、松丸アナといったお馴染みのゴッドタンメンバーが中継でストーリーや劇団ひとりのアドリブにつっこみを入れていく。映画としたらアバンギャルドにも程がある。
しかし、このモニタリングルームこそこの映画の肝だと思う。
バラエティ番組で笑い声を挿入したりテロップを入れたりすることは、笑いどころを指示するためで視聴者をバカにしている、なんて批判があるが、『キス我慢』においてはそういったリードが必要だ。
映画館で思いきり大声を出して笑うというのは、コメディ映画でもなかなかつらいところがある。しかも特にこの『キス我慢』は、劇団ひとりがカッコよく決めようとすればするほど面白くなってしまう。アドリブでカッコいい決めゼリフを言うたびに劇場内に爆笑がこだまするなんて状況は、モニタリングルームあってこそだろう。下手をすれば普通に映画を観ている錯覚に陥る寸前のところで、モニタリングルームのツッコミが現実に引き戻し、我々の爆笑を促してくれる。


モニタリングルームもそうだが、ストーリーの中にもバラエティ番組的な“粗さ”を残しており、虚と実が混じり合う。映画ではなくまさに『キス我慢選手権 THE MOVIE』としか形容しようのない代物。『キス我慢』の映画化としたらあまりにも正解。
そして、このバラエティ番組のようなものを「映画館で観る」という行為自体が、面白さの構造に組み込まれている。
だからこれは「映画館で」、「大勢の観客と一緒に」、「大声で爆笑して」観る映画だ。
この“深夜2時の奇跡”が、全国で大ヒットして更なる奇跡になることを祈る。