夢の『ウレロ☆未確認少女』

最近、『ウレロ☆未確認少女』をまた見ている。
DVD-BOXの特典映像の質・量が「バカの所業」(by 佐久間P)なので、ディレクターズカットの本編までは見られていなかったのだけど、改めて見てみるとやはり素晴らしい。
Twitterで散々激賞はしてきたけど、きちんと感想を書いていなかったなと思い、今更ながらつらつらと書き記しておく。


昨年の8月頃『ウレロ☆未確認少女』の情報が流れてきたとき、『ゴッドタン』の佐久間Pが手掛けるということで、「キス我慢選手権」のようなアドリブ重視の、いわばバラエティ的なノリのコント番組が始まるものと思っていた。ところが蓋を開けてみたら、意外や意外、台本できっちりと固められた正統派のシチュエーションコメディだった。


劇団ひとりは社長・川島として、バカリズムはプロデューサー・升野として、東京03はマネージャー・飯塚、作曲家・角田、バイト社員・豊本として、そして早見あかりは事務員兼ミスXのあかりとして、素の顔を見せることなくそれぞれの役を演じ切っていた。


また客前一発収録ということもあり、第一話は出演者の緊張が見て取れた。そんなぎこちなさを感じつつも、「何だか面白そうなことが始まったぞ」とワクワクした。回を追うごとにそのワクワクは増し、毎週金曜日にテレビの前でこの番組を心待ちにしていた。ワクワクという表現は我ながら稚拙だとは思うが、その表現がぴったり合うくらいに、テレビにかじりつくように見ていた小学生の頃を思い出させてくれた。


ウレロ☆未確認少女』からは「今、この番組が必要なんだ」、「この笑いを見せたいんだ」という熱意が伝わってきた。金曜の深夜、わずか30分の番組ながら、テレビを大きく変えようという意思さえ感じた。褒めすぎだろうか。ファンであるがゆえの贔屓目だろうか。しかし、この番組はファンにさせてくれるだけの魅力に溢れていた。


芸人として売れるとはどういうことなのだろう、とふと考えるときがある。バラエティ番組は確かに好きだ。そこで見せる芸人のトーク、アドリブ、リアクション等には大いに笑わせてもらうし尊敬する。しかし、「売れる」とはそれだけではないと思うんだ。


特に劇団ひとりバカリズム東京03は超一流のコント職人だ。それを埋もれさせるのはあまりにもったいない。だからと言ってネタ番組をやればいいという訳じゃない。テレビだからこそできる、テレビと芸人が一緒になって作り出す笑いの形があると思う。その理想を見せてくれたのが『ウレロ☆未確認少女』だった。


メイキング映像の中で、飯塚は初めてセットを見た瞬間につぶやいた。
「夢叶ったなぁ。これがやりたくてこの世界入ってますから」


この一言にすべてが詰まっているような気がする。
演者もスタッフもこんな番組がやりたかったのだろうし、私たちもこんな番組が見たかった。
皆の夢を叶えた番組なんじゃないだろうか。


劇団ひとりも記者会見で以下のように語っている。
「こういう番組をやるのは芸人として夢だったんですけど、やったらやったで本当に大変だなと。稽古となると朝から晩までずーっとやってて、ギャラに合わない仕事だなというふうに思うんですけど、ギャラに合わない仕事というのは皮肉なもんでやりがいのある仕事なのかなと思っております」


「頑張ったら偉いのか」問題というのはある。頑張り=面白さではないし、時に反比例したりもするから。
しかし、頑張るからこそ放たれる輝きがこの番組にはあり、私を惹きつけた。
何より出演者の皆が皆、楽しそうなのだ。見ているこちらまで楽しくなるほどに。
それを支えるスタッフも素晴らしく、変態的なこだわりを見せるニイルセンの美術、出演者のキャラを引き出すオークラの脚本と、パズルを組み上げるかのようなカタルシスを味わわせてくれる土屋亮一の脚本、それらをまとめ上げる演出・プロデューサーの佐久間宣行。
回を追うごとにチームとしての一体感が増していき、毎週このチームに会えるのが嬉しくて仕方なかった。


また、『ウレロ☆未確認少女』はシチュエーションコメディでありながら、全12話のドラマでもあった。
毎週爆笑しているうちに、未確認少女隊UFIを応援し、@川島プロの面々とともに一喜一憂していた。
そして気がつけば、最終回の夜、テレビの前で涙していた。
ひょっとしたら粗を探そうと思えば見つかるのかもしれない。完璧ではないはずだ。それでも、そんな些事など度外視できてしまうほどに夢中になった。


「面白い番組は続けていくべきなんですよね。ずっとやっていきたいですね」
というバカリズムの言葉のとおり、必要な番組だと思う。
そして、7月からはシーズン2の放送が決まっている。またあの面々に会えると思うと嬉しくて堪らない。