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批評は必要か?

映画批評においてよく言われる話。
映画に限らず、音楽でもお笑いでも、批評というものは必要なのか。
圧倒的知識を基に作品の背景や意味を詳らかにする解説には価値はあったとしても、単なる批評に果たして価値はあるのかと。
ともすればお前の好き嫌いだろう、主観による解釈じゃないかと一蹴されかねない。
それでも私はそこに価値があると考える。


感覚の共有
言葉にすること。そこにまず意味がある。
あるものを見聞きしたときに「面白い」と感じても、それは人がそれぞれに抱く曖昧模糊とした感覚で、その感覚は他人には分からない。
しかし、言葉にすることで共有は可能となる。正確にいえば共有の精度が上がる。
感覚という不明瞭なものを言葉によって固定化し他人に通じるものにするという役割を批評は果たしている。


感覚の補助線
ただ感覚を共有したとしても、他人の感覚が自分の感覚と完璧に一致するはずがない。
たとえば自分の感覚に似通った批評に出会ったときにそれで完結させてしまうのは、正しいあり方だとは思わない。
あくまでも批評というのは「感覚の補助線」だ。
対象について自分がどう感じるのか、それは何を根拠にしているのか。他人の批評は自分のそうした感覚を言語化する起点となる。
自分の感覚と異なる批評に出会ったときも、その違和感がどこにあるのか、それを踏まえて自分はどう感じるのか。そういったことを考える指標になりうる。


そうやって批評という作業で自分の感覚を鍛えていけば、「面白い」へのアンテナが研ぎ澄まされていくのではないだろうか。

以上、最近ぼやぼやと考えたこと。