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好きの対価

最近感じた、すごく当たり前の話をします。


「買う」という行為

本が読みたければ古本でいい。図書館もある。
お笑いも音楽もテレビで十分かもしれないし、あまつさえライブ映像までもがYouTubeで垂れ流されている。
しかしそこにはビタ一文として「対価」が発生していない。私たちは提供者に何も与えず無為に消費するだけだ。
娯楽が多種多様化し選択肢が無数にある以上、「入口」はそれでいいと思う。
ただ好きになったときには、きちんとお金を払おう。
一次的な意味としては、著作者にお金が渡る。提供された娯楽にその対価を支払うという至極当然の話。
そして、もう一つ重要な意味。「買う」という行為は「好きの意思表明」でもあるということ。
買うことは、出版社に、CD会社に、映像メーカーに、自分の「好き」を伝えるシンプルかつ本来的な方法だ。
また、購入物に対してだけでなく、「無くならないで欲しい」「次を提供して欲しい」そういう想いまでも伝える、「好き」を存続させる手段でもある。
自分がただ単純に楽しむだけの話なら、先に述べたように(違法・遵法問わず)無料で享受する方法はいくらでもある。
そこでなぜ買うのかと言ったら、「買う」という行為にそういう意味も含まれているということに少し頭を巡らせていいのではないだろうか。


現場に足を運ぶ

そんなふうに考えるきっかけとなったのは、ももクロ東京03だ。

先日、秋葉原で急遽開催された『ももクノ60分』に参加した。ほんの軽い気持ちで。
かつてないほどにどハマリしてしまったももクロだが、ライブには参加するまいという一線を引いていた。
「アイドルファン」という負い目であろうか、さすがにそこまで踏み込むには勇気が足りなかった。
だから、『ももクノ60分』は「どうせ当たらないだろう」と気軽に申し込んだもので、当選したときには少々の戸惑いがあった。
先達には大変失礼ながらそんな気持ちで臨んだ人生初のアイドルライブには、YouTubeで見た映像とは明らかに異質の、そこでしか得られない体験があった。
正直に言うと、「ヲタ芸」や「コール」なんてものは自己満足の世界に過ぎないと思っていた。
しかしそれは、ももクロが全力でパフォーマンスすることに対する、より直接的な「好きの対価」だということに気づいた。
そしてももクロもそれに呼応して120%の力で返してくる。会場が一体となり、共にボルテージが上昇していく様を体感した。

ももクロの例は極端に過ぎるにしても、先日観賞した東京03のライブでも同様の感覚を覚えた。
東京03第十三回公演『図星中の図星』、これもまた人生初のお笑いライブであった。
お笑いライブなのだから、演者は笑わせる、客は笑う、当然に思えるその行為においても現場では意味が生じる。
台本どおりに演じるのではなく、私たちの笑い声をつぶさに感じ取り、アドリブを交え、より大きな笑いを提供してくれる。
爆発的な笑いが起こるような場面もあり、明らかに東京03の三人は「ノッて」いたように思う。
舞台と客席の間で「呼応」が確かに存在していた。
私たちがチケットを買うことも、ライブに足を運ぶことも、そこで笑うことも、すべてが「好きの対価」だ。
そしてそれに演者も応えてくれる。自分の「好き」とのなんと幸福な関係だろうか。


ただ消費するだけの立場から脱却し、どのような形であれ、好きの対価を支払おう。意味を持たせよう。
それが娯楽を提供してくれている者に対する敬意であり、本源的にはより自分が楽しむための得策でもある。