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松本人志の媚び

松本人志が9年ぶりにコント番組をするということで、今更ながら映画『しんぼる』の感想を中心に表題“松本人志の媚び”について少々。


実を言うと、私、あの酷評されまくった松本人志第一回監督作『大日本人』がすごく好きなのですよ。
松本信者とはいかないまでも、幼少期に『ごっつええ感じ』を始めとする“松本人志的な笑い”にまみれて育った身としては、『大日本人』はまさに“松本人志的”であり、「これが松本人志のやりたかった映像であり、笑いなんだ」と素直に感動した。
デビュー当時、ダウンタウンの笑いが理解できない客に対して「これが面白いんだ!」と“教育”を施したという話は有名だが、この『大日本人』に関しても松本人志の「これが面白いんだ!」という自信が見て取れた。


ところが『しんぼる』はというと、「こういうのが面白いんでしょ?」という媚びが全編に亘って支配していた。一言で言ってしまえばベタなのだ。
確かにベタな笑いというのは『大日本人』にもあった。しかし、失礼なインタビュアーにしても、横暴なマネージャーにしても、体に刻まれる広告にしても、“孤独なヒーロー・大日本人の悲哀”という笑いの背骨によって支えられており、すべてが意味のあるものになっていた。
一方『しんぼる』は、要するに「何もない部屋で何が出てくるでしょうか?」という大喜利であり、小ボケの集合に過ぎない。前述したようにその答えが悉くベタで、お笑い用語でいうところの“置きに行っている”感がありありで冷めてしまう。
松本人志は公開前に「海外を意識した」「無声映画に近い」と各メディアで公言していたが、蓋を開けてみれば単なるオーバーアクションで、おならプーだった。もうこれは失望しかしない。本気でおならプーが面白いとでも思っているの?


松本人志が今まで私たちに提示してきた笑いは、『ごっつええ感じ』で見せた狂気と笑いの狭間であったり、大喜利の解におけるアクロバティックな変化球であったり、『働くおっさん劇場』のようにモラルを揺さぶる笑いであった。そして、ベタにしても『MR.BATER』のようにベタを換骨奪胎させた、ベタを逆手にとった笑いだったはずだ。


しかし、『しんぼる』にはそれがない。
オチにしても『大日本人』では松本人志らしい裏切り方で映画的であることを拒否していることに好感を持ったが、『しんぼる』に関しては逆に映画的であろうとしており、ここにもある種の媚びが見えた。
しかも、インタビューで「うまいこと決まった。よく思いついたと思う」というような趣旨の発言をしていたが、実際のところあまりうまいこと決まっていないのが更に残念だった。


松本人志の媚びの原因がどこにあるのかと考えると、私はTBSの『ドリームマッチ』ではないかと思う。
2006年に三村マサカズと組んで見せたコントはまさに松本人志的なひねりの効いた笑いであった。しかし、オチの瞬間、客席から聞こえてきたのは歓声でも拍手でもなく「えぇ〜」という落胆の声。客前で公然と松本人志の笑いが否定された。
それ以降、『ドリームマッチ』において松本人志の笑いが変質していったように思う。
2007年のトシとの漫才ではタカアンドトシの定番ネタ“欧米か!”とダウンタウンの往年のネタ“「あ」研究家”を組み合わせるという“置きに行っている”感。2008年の千原せいじとのコントでは韓国語ダジャレネタというベタ感。さらに2009年の内村光良とのコントにおいては、半ケツを出したり、最後にカーテンコールをしたり(パロディネタととることもできるが)、観客に対するおもねりが露骨に見て取れた。


かつて尖りに尖りまくっていた先鋭的な松本人志の笑いはもう見られないのだろうか。
そう落胆しつつも、9年ぶりの地上波コントで何かを見せてくれるのではないかと期待せずにはいられないのは、松本人志の魔力だろう。