「タバコ=ウンコ」論

タバコとはウンコである。


これは決して悪口ではない。
タバコをウンコと同様に捉えれば、非喫煙者にとっても喫煙者にとってもお互いに良い理解になるのではないかというお話。


喫煙者にとってのタバコを考えると、禁煙失敗率の高さを鑑みるに我慢がかなり困難であることが分かる。そして、食後の一服だとか目覚めの一服に代表されるように喫煙衝動というのは無意識的かつ定期的に訪れる。このようなことから、タバコとは生理現象に近いものだと考えられる。つまりはウンコである。
時々喫煙者を目の敵にして「タバコ断固許すまじ」という態度の非喫煙者がいるが、タバコを吸うのはウンコするのと一緒なんです。仕方ないんです。許してあげましょう。非喫煙者はタバコをウンコと思い、広い心で受け止めるべきだ。
タバコを吸いたくて仕方ない人に向かってそれを我慢しろと言うのは、ウンコがもれそうな人に対してトイレを封鎖するに等しく、言うなれば肛門破壊工作で、そんなあなたはウンコテロリストだ。


ここで重要なことがもう一つあって、ウンコをするのはトイレである。それに対応するように、タバコを吸うのは喫煙所であるべきだ。楽しく食事をしている場、会話している場、そういったパブリックな場にウンコを持ち込むなどという蛮行は許されない。
そう、非喫煙者にとってタバコはウンコほど不快なのだ。
健康被害について話し始めると、「肺癌と喫煙に因果関係はない」など諸説飛び交うことになるので、ここでは快・不快および社会的マナーについて話したい。
タバコはウンコと同様であるから、タバコを吸うこと自体には何の問題もない。個人の自由だ。しかし、それをどこでするかというのは社会的マナーの話になる。
普通人前でウンコをする人はいない。それと同様にタバコも人前でする行為ではないと考えるべきだ。
「どこで吸おうと自由だろう」という主張はあまりに横暴で、路上喫煙などウンコを撒き散らしながら歩いているようなものだ。
携帯灰皿を持っていたらいいかと言えばそうではなく、それは紙オムツをはいて路上で脱糞しているのと同じだ。
公衆の面前で悪臭を振りまくなんて、それはもうウンコテロリストだ。テロ支援ウンコだ。なんだそれ。


という訳で、皆さん、タバコとはウンコなのです。